バガヴァッド・ギーター1章 アルジュナ・ヴィシャーダ・ヨーガ(アルジュナの悲しみ)要約
【背景】
「バガヴァッド・ギーターの教えは、マハーバーラタの戦争、パーンダヴァとカウラヴァの戦いの中で授けられた。
パーンダヴァ族の戦士アルジュナは、戦場でサムサーラの問題に直面した。彼は神の化身クリシュナに問題の解決を求め、身をゆだねた。そして、偉大な教えに従うことになる。
人がバガヴァッド・ギーターの叡智に触れるなら、人生の中で重要なプロセスを経なければならなくなる。
最初に、(バガヴァッド・ギーターが解決策となる)自分のサムサーラの問題を発見しなくてはならない。人は自分の病気を発見しない限り、薬を探し求めることはしない。
二番目に、サムサーラからの自由を、切に求めなくてはならない。これが献身的で実りある探求に導く。
三番目に、この問題は自分一人で解決できない、ということに気付かなくてはならない。限りある人間にとっては、問題を他の問題に置き換えるくらいしかできないだろう。
最後に、グルに導きを求め、自身を明け渡さなくてはならない。グルを見つけ、グルに身をゆだねた時にはじめて土壌が整い、バガヴァッド・ギーターの教えが始まるのだ。
1章全体と2章の最初の部分までは、このような展開になっている」
1章で紹介されている、アルジュナのサムサーラの問題は、執着(クルパーorラーガ)悲しみ(ショーカorヴィシャーダ)、混乱・妄想(モーハ)の問題と言える。
人は、自分が幸せでないと、外に助けを求め始める。これが、依存と執着とへと導く。
依存の対象の状態は常に予測不可能なので、心の平安を妨害されてしまう。
妨害された心は、批判と不平で満ちてしまい、更に悪循環となる。
これが、サムサーラと呼ばれるものだ。
バガヴァッド・ギーターの本文に移ろう。
最初の12節は、戦争で戦うために配備された軍隊の鮮明な描写だ。敵陣のドゥルヨーダナが、司令官であるビーシュマに大まかな指示を出した後、クリシュナとアルジュナ、そして他の者たちも、戦争開始の合図であるほら貝を吹き始めた(1-20)。
この運命の瞬間、アルジュナは敵陣を精査するために、馬車を軍隊の真ん中での止めるようにと、馬車の運転手であるクリシュナに指示を出す。
クリシュナは(いたずら心から)、ビーシュマとドローナの真ん前に馬車を止め、軍隊を観察するようアルジュナを促す(21-25)。
(この直前までアルジュナは、敵陣の親戚は不義であり(23)、クシャットリヤとして正義を確立するために、この戦争で戦うべきだと確信していた)
この瞬間、アルジュナの心の弱さにより、彼の心は理性から愛着へと滑り落ちた。 敵陣をダルマの違反者と見る代わりに、最愛の親族として見始めたのだ。そしてアルジュナは、みるみるうちに執着に圧倒されてしまった。
そして、執着の双子の分身である、悲しみと妄想に従うことになるのだ(26-30)。
続く5つの節で、アルジュナは完全に我を忘れるほど、強烈な悲しみ表す。これは彼の持つ愛着の深さを示している。
愛着により、彼の識別力は機能しなくなり、彼は一連の誤った判断を下す。興味深いことに、アルジュナは彼の立場を正当化するために、聖典の言葉を引用すらしている。
こうしてアルジュナは妄想に巻き込まれ、その様子は36節から章の終わりまで描かれている。
アルジュナは、愛着(ラーガ)、悲しみ(ショーカ)、妄想(モーハ)の深海にいる自分を見出していた。彼は心からこの問題から抜け出したいと望んだ。そして自力で出した解決策は、この戦争自体をやめることだった。
しかし彼は、心のどこかでこれに完全に納得できずにいた。 そして同時に、この問題は深刻過ぎて、自分一人では解決できないと気付いた。
かといってクリシュナに頼ることもしなかったので、ジレンマに陥る。そしてアルジュナは悲しみに打ちひしがれ、馬車の隅に座り込むのだ。
この章の主なトピックは次の通り
1. 軍隊と準備の説明。
2. アルジュナの馬車が、彼の要求に応じて軍隊の真ん中に配置される
3. 愛着に繋がるアルジュナの心の変化(ラーガ)
4. アルジュナの悲しみ(ショーカ)
5. アルジュナの妄想(モーハ)
アルジュナの悲しみがメイントピックであるため、この章はアルジュナ・ヴィシャーダ・ヨーガと呼ばれる。
・この要約は、スワミ・パラマールタナンダによるオリジナルテキストの要約を、VEDA JAPANが翻訳したものです。ご本人の許可は得ています。
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