生徒が決める授業料、「ダクシナ」とは?
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ダクシナは「寄付」ではなく、聖典を学んだ生徒が先生に支払う「対価」である。
👉「先生にダクシナを渡さないと、学んだことが正しく身に付かない」と、聖典に書いてある。
スワミジ(師)がこのようにおっしゃった時、正直驚きました。今までダクシナについては任意の授業料くらいに捉えていたのですが、もう少し意識を改めなくてはと思い、詳しく伺ってみることにしました。
かつて、聖典を教えていたブラフミン(聖職者)たちは、聖典を教えることでお金を取ることは許されていなかった。他の仕事や商売をやることもできなかったので、他に収入源となるものは何もなかった。だから彼らは、生徒が自発的にダクシナとして渡すものを受け取って生活していた。
現在はそういった、かつてのヴェーディックな社会は存在していないが、現在でも、仕事をしていない、収入のない、サンニャーシ(出家者)やブラフマチャーリ(霊的な学びに専念している修行者)に対して、ダクシナの習慣は今でもインドに残っている。
バガヴァッド・ギーター17章では、私たちが行うどんなヤグニャ(神に感謝し、世界に貢献する儀式・行い)も、適正にダクシナが渡されないと、タマシックなヤグニャになる、と言われている。ここでのタマシックの意味は、ネガティブな結果しかもたらさない、ということだ。
もし、プージャー(宗教儀式)だったら司祭に、教えだったらグル(先生)に対して、ダクシナは適正に渡されなくてはならない。
ダクシナを渡すことも、「ヤグニャの一部」である。もしダクシナを渡さないなら、まだヤグニャは完成していないということになる。ヤグニャが完了してから、ダクシナを渡すのではない。ダクシナはプージャーの一部である。だからもしダクシナが渡されないなら、プージャーは未完成ということになる。もし未完成であれば、そのプージャーから結果は得られないよね?ダクシナは、最後のステップとして、どんなプージャー、ヤグニャにも含まれている。
チャーンドーギャ・ウパニシャッドでは、ダクシナが正しくアーチャーリヤ(先生)に受け取られた時のみ、生徒に教えは働く、と言っている。
アーチャーリヤー ダイヴァヴィッデャー ヴィディター
※先生から正しく受け取った知識のみが結果を生み出す。
タイッティリーヤ・ウパニシャッドでは、学びを終えた後は、アーチャーリヤが望むダクシナを渡さなくてはいけない、と言っている。
アーチャーリヤーヤ プリヤムダナン
※何であれ先生が喜ぶものを与えなくてはいけない。
そしてアーチャーリヤ(先生)にダクシナを渡すことは、”儀式や教えを完成させる”という意味で、プンニャ(徳)にもなる。
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普通 8531948
オダ ユキ
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