【第2話】1.膨大なインド聖典は「ヴェーダ」が基本

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【第2話 聖典の全体像】

今回は、サンスクリット語で書かれた、膨大な「インド聖典」の全体像についてお話したいと思います。

全ての聖典の文献は一般的に、「シャーストラ」と呼ばれています。
シャーストラという言葉は、「シャース」「トラ」の二つの言葉が組み合わさって出来ています。

「シャース」は、「命ずる」「教える」の二つの意味があります。
そして「トラ」は、「救う」という意味です。

聖典の命じ方/教え方は、人間をあらゆる問題から救います。命じ、教え、そして人を救うことから、それはシャーストラと呼ばれているのです。

ですので、シャーストラとは、人生の最初の段階で人間に「命令」を出し、人生の最後の段階で「教え」、そして悟りへの啓発によって人間を問題から「救う」文献である、と言えます。

シャンカラーチャーリヤは、シャーストラを「母親」に例えています。母親は、初めのうちは子供に命令を出します。なぜなら、子供は命令の重要性を理解できるほどまだ成長していないからです。時に母親は、子供を脅さなくてはいけないかもしれません。
しかしその子供が十分成長したなら、徐々に「命令や脅し」は取り除かれ、説得力があり啓発するような、もっと「高尚な教え」に取って代わっていくのです。

全ての聖典の文献がその役割をすることにより、それはシャーストラと呼ばれるのです。

そしてこの膨大な聖典の文献は、大きく6つのレイヤー(層)/グループに分かれています。

6つの聖典のグループ-その1「ヴェーダ/シュルティ」

最初に来る最も優れた聖典の文献は、一般的に「ヴェーダ/シュルティ」として知られています。ヴェーダそのものはものすごく膨大な文献で、おおよそ2万ものマントラが含まれています。本当に途方もないほど大きな文献です。そしてこのヴェーダの文献は、更に以下の4つのグループに分けられています。

1.リグ・ヴェーダ・・・ 韻文体(韻を踏んでいる形式)の形で構成された「リグ・マントラ」から成る。

2.ヤジュル・ヴェーダ・・・散文体(自由な形式)の形で構成された「ヤジュル・マントラ」から成る。

3.サーマ・ヴェーダ・・・音楽の形式で構成された「サーマ・マントラ」から成る。これは音楽のために作られたものです。インドの伝統音楽はサーマ・ヴェーダに由来すると言われています。

4.アタルヴァナ・ヴェーダ・・・二人の有名なリシ、アタルヴァ・リシとアンギラス・リシによるマントラが多く記されている。

※ウパニシャッド=ヴェーダーンタは、それぞれのヴェーダの最終章となるので、ヴェーダに属するということになります。一般的には、ヴェーダ・プールヴァ(ヴェーダの最初の部分)と、ヴェーダーンタ(ヴェーダの最後(アンタ)の部分)という風に、二パートに分かれます。

「マントラ」という言葉は、これらヴェーダの作品のみに使われており2万以上のヴェーダのマントラがあります。これらのマントラは、教えを探究・分析し、自分のものとして吸収するためのものです。もし私たちが探究するなら、マントラは私たちを守ってくれるのです。伝統によれば、ただマントラを繰り返しているだけでも、マントラに瞑想することには、人を助ける力があると言います。

そして「ヴェーダ」という言葉そのものが、「知識の源」を指し示しており、「ヴィド/知る」という語源に由来しています。それゆえヴェーダという言葉の意味は、「情報と知識の宝庫」だと言えるのです。

そうすると次に、「一体誰がヴェーダの著者なのか?」という疑問が浮上します。しかし私たちの伝統では、ヴェーダは神自身からの啓示であると見なしています。ヴェーダが人間の作品だとは見なしていません。それは人間の知性による産物ではないのです。それは神自身からの啓示です。それゆえに、著者については問う人も少ないのです。神自身がヴェーダの著者なのです。

しかし、神はヴェーダを直接人間に伝えてはいません。神は、「リシ(神とコンタクトが取れる特殊能力を持つ人たち)」と呼ばれる媒体を通して、ヴェーダを人間に明かしています。なので、リシは仲介者・媒介者だと言えます。リシ達は、私たちがヴェーダのマントラを受け取るための、パイプラインだと言えるでしょう。

神が「送信局」なら、リシ達は「受信局」です。リシ達は、神から送信された教えを、まるでラジオのように受け取る、受信局のようだと言えます。

送信局(神)からは既にプログラムが送信されています。たくさんのプログラムが既に、波動の形で至る所にあります。しかしあなたはこのプログラムを受信していますか?していないことを祈ります(笑)あなたのマインドは、これらの波動を受信することはできません。なぜなら、そのように装備されていないからです。

しかし、もしあなたがラジオを持っていたとして、特定の周波数にチューニングしたとすれば、プログラムを受信することができます。そしてまた周波数を変えたら、別のプログラムも受信できます。
プログラムは、あなたがチューニングをする時に送信される訳ではありません。プログラムは、あなたがチューニングをする前から、そこに存在しています。あなたが、ある特定の時間に受信するだけなのです。

そうして神は、ヴェーダの教えを世界の創造と共に、この世界に送信しました。しかし、私たちにはそれを受信する装備がありません。
しかしリシ達は、彼らが生まれながらに非常にサットヴァ(純質)な、特別な媒体なので、それを受信できるのです。ヴェーダのマントラは、神から送信され、リシたちに受信されたのです。

では、一体何人のリシたちによってでしょう?マントラを受信したリシは沢山います。なので伝統では、特定のヴェーダのマントラをチャンティング(詠唱)する時はいつも、リシたちを思い出すことから始めます。

そしてリシ達は、マントラを見た者マントラを受信した者、と呼ばれています。リシ達は、マントラをプロデュースしたり、作り出したりした訳ではないのです。

そしてヴェーダは非常に長い間、「言葉の形」だけで受け取られ、伝えられ、文字で書かれることなく存在していました。それが、サンスクリット語を示す特定の文字がない理由です。リシ達も彼らの弟子たちに、口頭でのみ伝えました。弟子たちは、聞いて学ばなくてはなりませんでした。

ヴェーダは、「書かれていない本(書かれたことがない本)」と言われています。今日でさえ、生徒がヴェーダを学ぶ時には、ノートは取らずに、聞き取りだけで学ぶことになっています。そしてヴェーダが耳によって受け継がれた時、「シュルティ=聞くことによって受け取られたもの」としても、知られるようになったのです。

このように、それはヴェーダと呼ばれ、マントラと呼ばれ、シュルティと呼ばれています。

そして、この人間の知性から生まれたものではなく、至高の存在を起源として生まれた言葉ヴェーダが、一番最初であり、最も優れたものであり、最も重要な聖典と言えます。そして、他の全ての聖典は、このヴェーダの基礎に基づいたものです。

そしてヴェーダの教えに従って生きる者のことを、ヴァイディカ(ヴェーダに価値を見出している者)と呼びます。ヒンドゥーという名前は誰かが付けたものです。

【第2話】2.スートラとスムルティ」
第一話から読みたい方はこちら


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