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【第6話 瞑想のヨガ】
- ウパーサナ・ヨーガ/瞑想のヨガ=人格調整プログラム
- ヴァーク・タパス/話すことの訓練
- マーナサ/メンタル調整プログラム
1.ウパーサナ・ヨーガ=人格調整プログラム
過去数回のクラスで、聖典は、人間のために“インフラ”を提供してきたことをお話しました。そしてモークシャを最終的なゴールとすることに焦点を当て、“4つの人生の目的全て“を達成するために、私たちに”修練のコース”を与えてくれました。
そしてその”修練のコース”は、大きく”3つに分類”することができるとも指摘しました。それぞれのコースは、「ヨーガ」と呼ばれ、1.カルマ・ヨーガ、2.ウパーサナ・ヨーガ、3.ニャーナ・ヨーガであるということも、お話しました。
前回のクラスでは、カルマ・ヨーガを見てきました。カルマ・ヨーガとは、「正しい行い+正しい心構え」に他なりません。
”正しい行い”とは、何を“基準”にして決められていたでしょう?それは、”人の霊的な成長を促す影響力”です。“物質的な成長を促す影響力”を基準にして決められていた訳ではありません。
そして”正しい心構え”も見てきました。心構えは、“行いの質”を変えることができます。そして更に、行いの結果に対する“反応の質”も変えることができます。結果がどうあれ、過剰に反応しなくなる、ということです。それゆえ、“心構え”は、”行動そのもの”と同じくらい重要なのです。
このカルマ・ヨーガに関しては、バガヴァッド・ギーター3章の中で、詳細に語られています。私たちも既に前回のクラスで学んでいますね。
では、二番目のヨーガ、「ウパーサナ・ヨーガ/瞑想のヨガ=人格調整プログラム」に入っていきましょう。シャンカラーチャーリヤは、時々これをサマーディ・ヨーガとも呼んでいます。
ウパーサナ・ヨーガの目的は何でしょう?それは、私たちの人格を、プルシャアルタ達成に相応しくする為のプログラムです。ウパーサナ・ヨーガとは、プルシャアルタ/人生の4つの目的全ての達成に向けて、人格を適したものにし、相応しくするための、「計画的なプログラム」なのです。
ちょうど、車は道に相応しくなくてはいけない、船は海に相応しくなくてはいけない、飛行機は空に相応しくなくてはいけない、のと同じです。
このように、人間の人格も、プルシャアルタ/4つの人生の目的に、“相応しく”なくてはいけないのです。なぜなら人生という旅は、“4つの人生の目的を達成するための旅“に他ならないからです・・・
ですので、このウパーサナ・ヨーガを、シンプルな言葉を使って、「人格調整プログラム(personality conditioning program)」と呼ぶことにします。
ちょうど、スポーツ選手がその分野に入る前、調整プログラムをするようなものです。例えば、あなたが野球チームに入るとします。もし、ボールを投げたり取ったり、走ったりができなかったら、どうやって試合ができるでしょう?
ですので、どんなタイプの活動をするにも、それに相応しく調整されなくてはいけません。同じように、4つの人生の目的の追求にも、“人格“は正しく調整されなくてはいけないのです。
カト・ウパニシャッドでは、目的地に到達する時の例えとして、私たちの人格を車と比較しています。ちょうど車が目的地に無事到達するために、“良い状態”でなくてはいけないのと同じように、私たちの人格も、“良い状態”でなくてはいけないのです。
実際、カト・ウパニシャッドの特定の部分は、人格調整プログラムのことに特化しています。そして「そのような調整された人たちだけが、人生のゴールを達成することができる」、と言っています。
ですので、ウパーサナ・ヨーガは、「人格を調整・統合し、正常にしてまとめ上げるプログラム」と言えます。「調整プログラム」という言葉を使っていこうと思います。
そして聖典は、私たちの理解を容易にするために、人格をいくつかの「層」に分けて説明しています。なぜなら、私たちの人格は、複数の要因が入り混じった“複合的なもの”であり、一つにまとめて扱うことができないからです。だから、何層かに分けて説明しなくてはいけないのです。
この“人格の層ごとの分割”は、パンチャ・コーシャ/5つの鞘、またはシャリーラ・トラヤ/3つの体、などが分割の手段として使われていますが、これらはもっと先に勉強しますので、今は触れません。
今回の私たちのクラスでは、人格を“3つの層・側面”に分割することにします。この分割は、聖典の中で広く知られているものなので、非常に重要です。
人格の3つの分割
一番目の人格の層は、「カーイカ/身体に関すること」です。身体の観点からの人格のことを、カーイカと呼びます。
二番目の人格の層は、「ヴァーチカ/言葉・話すこと」です。私たちには、“話すための非常に発達した器官”があり、動物のようではありません。この話すための器官を使って、私たちが「話すこと」は、自分の人格を“表す”だけでなく、自分の人格に”影響する”ものでもあります。それゆえ、ヴァーチカ/言葉は、注意深く扱わなくてはいけないのです。
そして三番目の人格の層は、「マーナサ/メンタル・精神的・心理的なこと」です。最も微かな、そして“最も重要”で、扱うのが非常に難しいものでもありますが、決して無視できないものです。
それゆえ、聖典は3つ全ての人格の層を考慮に入れ、これらを調整するためのプログラムを定めたのです。一つずつ見ていきましょう。
【人格の3つの“層“】
1.カーイカ/身体に関すること
一番目は、「カーイカ/身体に関すること」です。私たちのこの肉体は、人生の中で成し遂げなくてはいけないこと全てにおいて、“最も重要な道具”だと言えます。物質的な探求であれ、霊的な探求であれ、肉体は非常に重要です。それゆえ聖典は、身体をおろそかにしてはいけない、健康を軽視してはいけない、と一様に断言しています。
聖典の至る所には、数々の「祈り」がちりばめられています。司祭は多くの儀式の中で、「アローガ ドゥリダ ガートラ サンパッテャルタン・・・」とサンスクリット語で言っていますが、これらは「病気のない健康な身体」という意味です。
これが記されているのは、ヴェーダの中でも物質的なことが語られている前半部分に限ってはいません。霊的な部分であるヴェーダーンタ(ヴェーダの最後、ウパニシャッド)の中でさえも、シャーンティ・パータ(マントラ)の中で、“身体の健康のための数々の祈り”が記されています。
バッドラン カルネービッ シュルヌヤーマ デーヴァーハ・・・・
※私たちの耳が吉祥なことを聞きますように。私たちの目が吉祥なものを見ますように。健康な手足をもって、ヴェーダを通してあなたを賛美できますように・・・
アーピャーヤントゥ ママーンガーニ ヴァーク プラーナスチャクシュ・・・
※私の手足が強くなりますように。私の話す器官が、プラーナ(氣)が、目が、耳が、そして他の全ての器官の力も強くなりますように・・・
これらは、ウパニシャッド(ヴェーダーンタ)のシャーンティ・マントラです。
このように聖典からも、身体が健康であること、そして健康に注意を払うことは、大変重要だということが、はっきりと分かります。
しかし残念なことに、私たちが病気になるまで、健康は当たり前のものとして捉えがちです。そして私たちは、常にこの法則を覚えておかねばなりません。
健康を“維持”することは、健康を“失った後に取り戻す”より、よほど簡単だ、ということです。健康の維持は、よりお金も時間も少なくて済みます。しかし健康を一度失ってしまうと、それを取り戻すのに、多くの時間とお金がかかってしまいます。
健康について、このようにうまく言っている人がいます。
「“自発的”に健康のために時間をかけない者は、“強制的“に病気のために時間をかけさせられる」
それゆえ、健康は非常に重要なのです。
そして聖典には、健康に関連したこと、ダイエットやエクササイズなどのことなどが語られていますが、そのために聖典を調べる必要もないでしょう。なぜなら、現代の医科学が健康の維持については、十分語っているからです。ですので、詳細については触れませんが、これだけは言っておきます。「健康は大事です」
そして、私たちは健康の維持を、“身体を甘やかすこと“として見なすべきではありません。身体の健康を“最終目的”とした場合には、それは身体を甘やかすことになってしまいます。ひとたび身体の健康を最終目的とした場合、聖典は「もっと崇高な目的に目を向けるように」と指摘します。
また、健康を価値のない目的のために追求した場合、聖典はそれをとがめます。しかし、価値ある目的のための健康のメンテナンスは、常に称賛されています。そしてこれは、身体を甘やかすことにはなりません。これは、“サーダナ/修練“になります。
バガヴァッド・ギーター6章ウパーサナ・ヨーガの中で、クリシュナはこのことについて語っています。
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