ヨガ哲学 バガヴァッド・ギーターとは?ヴェーダの凝縮 - ヴェーダーンタを学ぶ
ヨガ哲学「バガヴァッド・ギーター」とは?
はじめに
バガヴァッド・ギーターは、全インド聖典の基本となる「ヴェーダ」の“凝縮バージョン”とされ、“3つのヨガ“全てが含まれる「最も重要な聖典」とされています。この記事では、バガヴァッド・ギーター全体の概要を、簡潔に分かりやすく解説します。
バガヴァッド・ギーターは「マハーバーラタ」の一部分
バガヴァッド・ギーターは、インド二大叙事詩の一つである「マハーバーラタ」という膨大な物語の中の、ほんの一部分に過ぎません。マハーバーラタは世界最長の叙事詩といわれ、10万もの節から構成され、3~5千年くらい前に実際に起こった“実話に基づいている”とされる物語です。
マハーバーラタはストーリーが非常に興味深いだけでなく、「人生全ての教訓が詰まっている」ともいわれ、インドで知らない人はいない“最も有名な物語の一つ”といえます。TVドラマで放映された際の最高視聴率は90%を超え、放映時には街から人が消える程の社会現象にもなったそう。
マハーバーラタを現代の言葉に訳すと「偉大なインド」、バガヴァッド・ギーターは文字通りには「神の詩」という意味になります。
では、「バガヴァッド・ギーター」とはどんなものだろう?
バガヴァッド・ギーターは、膨大なインド聖典の中でも“最も有名で、最も重要な聖典”とされ、あらゆる教えのエッセンスが凝縮されています。インドのモディ首相が来日した際、安倍総理にバガヴァッド・ギーターを贈呈したというエピソードもあるくらい、インドが世界に誇る代表的な書物といえます。
バガヴァッド・ギーターは、クルクシェートラの戦場を舞台とし、「神の化身クリシュナ」が「戦士アルジュナ」に教えを説くという対話の形式で成り立ち、美しく韻を踏んだ詩の形式で、700節・全18章で構成されています。
バガヴァッド・ギーターは「ヴェーダの教え」の凝縮バージョン
そしてこのバガヴァッド・ギーターの教えは、「ヴェーダの教え」に基づいています。
ヴェーダとは、「知識の源、知識の宝庫」という意味で“神からの直接の啓示”とされています。ヴェーダは「全インド聖典の基本」となる、とてつもなく膨大で重要な文献です。そしてヴェーダは「リシ」という神と交信できる能力を持つ媒体を通して“受信“された神の言葉とされるので、特定の著者は存在せず、神自身が著者とされています。またヴェーダはシュルティともいわれます。
そしてバガヴァッド・ギーターは“人間によって書かれたもの”とされるスムルティに分類され、その中でもイティハーサという“実話に基づく文献とされています。
バガヴァッド・ギーターの著者は、「ヴィヤーサ」という偉大なリシです。ですので、膨大なマハーバーラタもヴィヤーサによって書かれました。このヴィヤーサという人物は、マハーバーラタの時代に実際に生きており、物語の中にも重要人物として登場します。マハーバーラタのストーリーには多少の味付けもされていますが、ヴィヤーサもヴィシュヌ神の化身と言われているので、そのアレンジ法はまさに神業といえます。
そしてバガヴァッド・ギーターは、膨大な「ヴェーダの教えの凝縮」とされています。
ヴェーダは大まかに「前半と後半の2パート」に分かれています。
前半は「ヴェーダ・プールヴァ」(ヴェーダの最初という意味)と呼ばれ、神への祈りの儀式などの宗教的なこと、そしてダルマと言われる道徳的な教えの部分です。
そして後半は「ヴェーダーンタ」(ヴェーダ・アンタ=ヴェーダの最後という意味)と呼ばれ、「自分とは誰か?世界とは?神とは何か?」について教える哲学的な部分で、「ウパニシャッド」ともいいます。
そしてバガヴァッド・ギーターは、ヴェーダの前半と後半の両方をバランスよく含んでいる「ヴェーダ全体の凝縮バージョン」です。だから最も重要な聖典とされ、どんな聖典よりも「バガヴァッド・ギーターだけは最低勉強しておくように」と言われているのです。
ではどんな教えなのか?という説明の前に、バガヴァッド・ギーターの背景となる「マハーバーラタの戦争」について少し解説したいと思います。なぜなら「バガヴァッド・ギーターは戦争モノだ」と誤解する人も少なからずいるからです。
マハーバーラタの戦争は、「正義のための戦争」
バガヴァッド・ギーター1章1節は、宮殿で盲目王ドゥルタラーシュタラが御者サンジャヤに「戦場の実況中継」を頼む場面から始まります。ヴィヤーサがサンジャヤに、戦場で何が起こっているかが分かるように千里眼の能力を与えたのです。よってバガヴァッド・ギーター全体は、この“サンジャヤの実況中継”で形成されています。
では、そもそもこの戦争はなぜ起こったのでしょう?これは、クル一族、パーンダヴァとカウラヴァの対立によるもので、ドゥルタラーシュタラ王の長男ドゥルヨーダナ(アルジュナのいとこにあたる)の貪欲と嫉妬と憎しみ、そして王位継承に対する異常な執着によって、多くの人が巻き込まれる羽目になったのです。
大勢の人たちがあらゆる方法で平和的解決を試みたものの、ドゥルヨーダナは王国を手放そうとはせず、何度もアルジュナ達パーンダヴァ5兄弟を殺そうとし、最後にはクリシュナまでも殺そうとしました。アルジュナ達パーンダヴァ側は、どうしても戦争をせざるを得ない状況に陥ったのです。
こうしてマハーバーラタの戦争は、悪に立ち向かうための「正義ための戦争(ダルマ・ユッダン)」と呼ばれ、とてつもなく規模の大きい大戦争に発展しました。しかし、この戦争のおかげでバガヴァッド・ギーターの教えは生まれたのです。
アルジュナの絶望~クリシュナをグル(霊的ガイド)にするまで
アルジュナは戦争が始まるやいなや、馬車の運転手を務めるクリシュナにこんな指示を出しました。
「敵陣を倒すため、奴らの顔を確認しておきたい。馬車を敵陣の前に着けて欲しい」
そしてクリシュナはわざと、アルジュナが最も敬愛する長老ビーシュマと、弓の恩師ドローナの前に馬車を着けたのです。
アルジュナは、幼い頃から愛着のある彼らを目の当たりにし、深い悲しみに襲われました。「彼らを殺すくらいなら、自分が殺された方がましだ!」と、戦場のど真ん中で感情的に崩壊してしまいます。「最強の戦士」と言われたアルジュナが、馬車の隅に座り込み涙を流すのです。
「こんな心の状態ではもう戦えない、そもそもこの戦争自体が間違っているのではないか?!」と戦争から逃げ出す口実を探すものの、アルジュナは自分の心が完全に混乱し、正しい判断ができない状況に陥っていると悟ります。
そこで、目の前にいたクリシュナに「おお、クリシュナよ!私はどうしたらいいのか分からない。どうか私に正しき道を教え、私を導くガイドになってください!」と懇願するのです。
この瞬間、今まで馬車の運転手だったクリシュナが、「世界のグル(教師)」となります。クリシュナからアルジュナへのメッセージは、私たち全人類へのメッセージでもあるのです。
「サムサーラ」とは?-人類の苦しみの原因~3つの要因
では、クリシュナからアルジュナへのメッセージはどんなものなのでしょう?そして私たちにどんな益があるのでしょうか?
クリシュナは、アルジュナの問題の根源は「サムサーラ」にあり、「自己(アートマー)についての知識」を身に付けない限り、それを完全に断ち切ることはできないと、バガヴァッド・ギーター全体を通して指摘しています。
戦場でアルジュナが抱えた問題は、愛するに人に対する執着により深い悲しみが生じ、妄想に駆られ混乱し、戦士として戦うべき場面で己の義務が果たせなくなったことです。とはいえ親しい人たちを簡単に殺せるでしょうか?世の中の殆どの人がアルジュナに同情するはずです。
しかしクリシュナは、「アルジュナよ、ダルマ(正義、義務)に従って、おまえは武士として戦うべきだ!そしてもしこの戦争から逃げ出すなら、人々はおまえを臆病者としてあざ笑うだろう」と、アルジュナに戦うよう鼓舞します。
そして更にクリシュナは、「この戦争では、霊的な視点から見れば誰も殺す者もいなければ、誰も殺される者もいない」と言うのです。
クリシュナの“ヴェーダーンタ哲学の教え“を理解できず、アルジュナは混乱してしまいますが、丁寧に質問し、クリシュナの教えを受け入れ、少しずつ理解を深めてゆきます。バガヴァッド・ギーター全体は、こんな風に構成されているのです。
サムサーラとは何か?
では、アルジュナの問題であり、全人類の問題でもある「サムサーラ」とは一体何でしょう?
これには3つの要因が関係しています。
1つ目は、「感情的な問題」、心の障害となるネガティブな感情全てです。怒り、憎しみ、悲しみ、落胆、嫉妬、イライラ、貪欲、執着、後悔、罪悪感など、いくらでも見つかります。これは主に、カルマ・ヨガ/行いのヨガと、ウパーサナ・ヨガ/瞑想のヨガの徹底的な実施で、おおむね8割方は解決が可能です。
2つ目は、「知的な問題」、これこそ「人類の問題の根本的な原因」といわれ、自覚している人が殆どいない苦しみの最大の原因です。この知的な問題とは、「自分自身についての無知と、自分自身についての誤解」です。これには「自分自身(アートマー)についての知識」を身に付けるしか対抗策がありません。これがニャーナ・ヨガ/知識のヨガ(哲学)といわれるもので、ヴェーダーンタ/ウパニシャッドの教えにあたります。
3つ目は、これらの「問題の解決策を探し求め、生と死を繰り返す旅をすること」です。そしてこの旅は、問題の解決策が見つかるまで死後もなお続きます。
これら「1.感情的問題(ネガティブな)、2.知的問題(自身に対する無知と誤解)、3.生死を繰り返す旅」の、障害となる3つが合体したものが「サムサーラ」と呼ばれるのです。
そしてこのサムサーラが完全に破壊されない限り、人間の苦悩は続くといいます。では、どうすればサムサーラから逃れ、真の幸せを手に入れられるのでしょうか?
「3つのヨガ」~カルマ・ヨガ/瞑想のヨガ/知識のヨガ
バガヴァッド・ギーターは、人生を“終わりなきサムサーラの旅”ではなく、人生を「霊的に成長するための旅」にしたい者のために「綿密にデザインされた霊的プログラム」といえます。そしてこのプログラム(教え)は何千年も前からあり、既に多くの人たちが実践して成功し、有用性が実証されている信頼の置けるものでもあります。
そしてこの「霊的プログラム」のことを「ヨガ」と呼び、このヨガは「3つ」に分けて考えることができます。全人類共通の問題である「サムサーラ」を完全に破壊するには、この「3つのヨガ」の実践が必須となるのです。3つのヨガとはこのようなものです。
- カルマ・ヨガ/行いのヨガ
- ウパーサナ・ヨガ/瞑想のヨガ
- ニャーナ・ヨガ/知識のヨガ(哲学)
これら3つのヨガは「コース」になっており「3つ全てやるべきもの」とされていて、1.2.3.の順番でやります。また、1と2は同時進行も可能ですが、3は最後にやるものです。
また、ここでの「ヨガ」の意味は、「求める者とゴールを繋ぐ“手段”」という意味です。
※ヨガの意味は何十通りもあるので注意。また正しい発音は「ヨーガ」ですが、日本では一般的にヨガと言われている為、ここではそれを適用します。
では、それぞれのヨガを見ていきましょう。
1.カルマ・ヨガ/行いのヨガ
まずカルマ・ヨガ/行いのヨガとは、「“正しい行い”を“正しい心構え”でする」ことです。
「正しい行い」とは、最大限にポジティブな霊的影響を与え、最大限の数の生き物に有益な行いとされ、「パンチャ・マハー・ヤグニャ/神に感謝し世界に貢献する5つの偉大な行い」として聖典により示されています。簡潔に述べると、1.神への祈り、2.聖典の学び、3.先祖供養、4.社会と人類に貢献、5.環境に貢献、になります。
「正しい心構え」とは、「全ての行いを“神に捧げる気持ち”で行い、全ての結果を“神からの贈り物”として受け入れる」ことです。これは、全てを神に“ゆだねる”という心構えのことです。
そして日々の生活の中で、あらゆる行いをこのモチベーションで行うことにより、「プンニャ」という“徳”を作り、それによって私たちは様々な恩恵を受けることができます。これらは心の障害を取り除き、心を純粋にし、行動と反応の質を向上させます。そして「感情的な好き嫌いに振り回されず、何が起こっても動じない“強い心”を身に付けるように」という、クリシュナの主要なメッセージを成就することに直結します。
2.ウパーサナ・ヨガ/瞑想のヨガ
次に、ウパーサナ・ヨガ/瞑想のヨガです。これは、人生の中であらゆる目的を達成するために、私たちの「人格を調整するためのプログラム」だといえます。
瞑想というと「座って目を閉じて心を制御する」という形式を想像しがちですが、実は、食事や身体のメンテナンス、自分が発する言葉の訓練、そしてダルマ(道徳的価値観)を培うことも、重要なプログラムの一環なのです。
そして「心」は最も扱いにくい微細な道具なので、“身体と言葉の調整”を経てはじめて、「心の調整=瞑想」に到達することができるのです。この順番を覚えておくことが、瞑想を成功させる秘訣といえるでしょう。
バガヴァッド・ギーター第6章(瞑想のヨガ)では、クリシュナは一般的な瞑想については“基本的な準備”について語るに留まり、具体的な瞑想法については、ヴェーダーンタの熟考瞑想(ニディッデャーサナ)の方を多く語っています。
※一般的な瞑想法については、こちらの「ヴェーダーンタへの道」に詳しく掲載しています。
3.ニャーナ・ヨガ/知識のヨガ(哲学)
そして3つ目のニャーナ・ヨガ/知識のヨガ、これがヴェーダーンタ哲学/ウパニシャッドの学びになります。これは「モークシャ」と呼ばれる“自由“のため、「自己(アートマー)についての知識」を得るためのコースです。
“モークシャ“とは、「何かが有ろうが無かろうが、心乱されることなく常に満ち足りていて、個人という感覚から自由な状態」のことです。(日本語では解脱や悟り)モークシャとは、サムサーラからの完全な自由・解放、霊的な最終ゴールに到達した状態、生と死のサイクルからの脱却です。
カルマ・ヨガや瞑想のヨガは、モークシャに至るための“準備“として絶対必要ですが、直接モークシャをもたらすのは、このニャーナ・ヨガ/知識のヨガだけです。
知識のヨガは3段階のプロセスで構成され、1.ヴェーダーンタ哲学を勉強する(シュラヴァナ)、2.あらゆる疑問をクリアーにする(マナナン)、3.学んだ知識に深く瞑想し自分のものとして吸収する(ニディッデャーサナ)の順番で進めるものとされていています。
そしてこの「3つのヨガ」は、3つ全てやらなくてはならないもので、どれかが欠けていれば未完成だとされています。
ヴェーダーンタ哲学/ウパニシャッドの教えとは?
では、ニャーナ・ヨガ/知識のヨガ、つまりヴェーダーンタ哲学、ウパニシャッド、アドヴァイタ、ノンデュアリティ/不二一元論とも言われるこの教えとは、一体どんなものなのか?
「ヴェーダーンタの教えを受け入れるのは非常に困難」だと言われています。なぜなら、「今までの自分に対する概念」と「ヴェーダーンタの教える概念」とが、まったくの正反対だからです。今までは「自分は宇宙の中の小さな存在」だと思っていたのに、ヴェーダーンタは「宇宙は自分の中の小さな存在」だと言ってのけるからです!
私たちの理解を助けるために、ヴェーダーンタがよく用いる「夢のたとえ話」というのがあります。
夢の世界では、自ら“夢の中の自分”を創り出し、夢の中のストーリーを体験し、目を覚ますことにより夢の世界を終了させます。つまり夢の世界では、私は“夢の創造者”であり、“夢の維持者”であり、“夢の破壊者”です。だけど実際の夢の中では、そのことをすっかり忘れてしまい「自分は宇宙の中の小さな存在」だと思い込み奮闘しているのです。
ヴェーダーンタは、「この現実の世界も、夢の世界と同じようだ」といいます。
そしてこの現実という夢から覚めるには、霊的に目を覚ます(=モークシャ)しかないというのです。
バガヴァッド・ギーターの学び方~独学はすべきではない?
しかし「まだ目を覚ましたくない」と思う人も多いことでしょう。家族や仕事の責任もあるし、まだ準備ができていないと感じるかもしれません。目を覚ますより、この世界でより良い人間になり、より良い人生を送りたいと思うかもしれません。その場合は、カルマ・ヨガと瞑想のヨガを集中的に実践することにより、人格の改善と心の平安を得ることができます。
一方で「霊的に目を覚ますための知識を身に付けたい」と思う人もいることでしょう。
バガヴァッド・ギーターの教えは、この「両方のタイプの人たち」に効果を発揮するように作られています。だから「綿密にデザインされた霊的プログラム」といえるのです。しかも遥か昔からの実績もあります。
しかしこの霊的プログラムは、「ただ勉強しているだけ」では意味がありません。「学び」とそれに沿った「敬虔な生き方」の両方がないと、ただのアカデミックな知識で終わってしまいます。学ぶと同時に生き方を変えていくことが、このプログラムを成功させる大きな要因になるのです。
そして「学ぶ順番」も同様に重要です。まず「カルマ・ヨガ」で、神への祈りに満ちた生活と道徳観を身に付け、心の障害を取り除き、「瞑想のヨガ」で落ち着きのある心を身に付けます。こうして「知識のヨガ」を学ぶに相応しい“資質”を身に付け“心の準備“をするのです。
しっかりとした準備が整っていないと、知識のヨガ=ヴェーダーンタの学びは、全く身に着かず失敗に終わるか、または逆効果になってしまうことさえあるというから注意が必要です。
とはいえ、カルマ・ヨガと瞑想のヨガを完全にマスターしてからというのはなかなか無理な話なので、ある程度できたら知識のヨガに進むのがよいでしょう。カルマ・ヨガと瞑想のヨガの実践を忘れさえしなければ、どんな人もヴェーダーンタの教えを勉強するのは良いことです。
初心者の人がヴェーダーンタを学ぶ場合は、たとえよく解らなくても気を取られ過ぎず、ただ聞いているだけでも大丈夫です。そういう場合はカルマ・ヨガと瞑想のヨガの実践に集中します。「全てを神に捧げる気持ちで行い、全ての結果を神からの贈り物として受け取る(=神にゆだねる)」という心構えを、常に心に留めておくことが大切です。
ヴェーダーンタの教えは、清らかで落ち着いた心にのみ宿るのです。
ヴェーダーンタ哲学は、独学で勉強すべきではない
そして「ヴェーダーンタ(ウパニシャド)は、独学で勉強するものではない」と言われています。なぜなら、翻訳本を読んだところで自力では理解できないし、間違った解釈をしてしまうかもしれないし、分からなくて途中でやめてしまうかもしれません。
バガヴァッド・ギーターもヴェーダーンタの教えなので、翻訳本のみで独学で勉強すべきではありません。この教えは、「十分な資質を備えた先生の下で、体系的に時間をかけて勉強すべき」とされ、バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナも重要性を伝えています。
「ビデオ/音声/テキスト/Zoom講座」で学べる!
では、どのように学べばいいのでしょう?
この「バガヴァッド・ギーターとは?」の要約記事は、あらゆるインド聖典を知り尽くした権威、スワミ・パラマールタナンダのクラスを基に教えを抽出し、私(Yuki.)が直接スワミジに何度も質問をして書き下ろしたものです。(スワミジから直接学ぶためにインドに移住しました)
パラマールタナンダ・スワミジは、ティーチャーズ・ティーチャー(先生の先生)との異名を持ち、南インドチェンナイで40年以上ヴェーダーンタを教え続けている現役の大ベテランで、バガヴァッド・ギーターは数十回もクラスで教えた実績をお持ちです。
そしてこの教えは、「グル・パランパラ」といって、ヴェーダの時代つまり何千年も前から現代まで、“先生から生徒へ代々受け継ぐ伝統的な手法“で伝承されてきました。文書に頼らない伝承方法だからこそ、教えは何千年も温存されてきたのです。インドにはこのような驚くべき文化が今もなお残っているのです。
このように、スワミジもご自身の先生である、スワミ・チンマヤーナンダとスワミ・ダヤーナンダという、信頼の置ける偉大な先生方から伝統に従って学ばれたものです。
ですので、教えの内容には完全に信用を置いていただけます。この記事の内容も何度もスワミジに細かくチェックしていただきました。私という媒体を通して「スワミジの教え=バガヴァッド・ギーターとヴェーダの教え」を皆さまにシェアしてゆきたいと思っています。
スワミジによる「バガヴァッド・ギーター講座」が日本で受けられる!
ティーチャーズティーチャーとの異名を持つ、インド聖典の権威「スワミ・パラマールタナンダ」
私のグル、パラマールタナンダ・スワミジは、もう40年以上バガヴァッド・ギーターをインドで教えておられ、「ギーターは30ラウンドくらい教えた」とおっしゃっています。
1回1時間の講座を週に1回やると、18章あるギーターを完了するのに6年くらいかかりますが、朝の部と夕の部、といった具合に、一日2回もクラスをすることもあったとのこと。
結果的に、「近所の道を案内するかの如く」ギーターに精通されています。ちなみにギーターのチャンティングは、幼いころから全部覚えておられました。
また、スワミジはインドで最も影響力を持つ「シャンカラ」のバーシャ(解説書)を基にされており、この壮大なシャンカラ・バーシャのクラスを、14年かけて近年完了されました。
このスワミジのギータークラスをインドで実際に受けさせていただき、現在もオンラインで受講させていただいていることは、本当に素晴らしく光栄に感じています。
そのスワミジによギーター講座のしくず、各章のサマリー(要約)のクラスを、現在オンラインクラスで開催させていただいています。
「バガヴァッドギータービデオ講座」のご案内
ヨガ哲学Yukiによる「バガヴァッドギータービデオ講座」
「定期Zoomクラス」開催中!
・リアルタイムで参加できなくても、ビデオと音声がすぐアップロードされます。
ヨガ哲学講師Yuki.
スワミ・パラマールタナンダからヴェーダーンタを学ぶため(だけ)にインドのチェンナイに移住。ヴェーダの教えを学び伝えています。
人生を変えたこの素晴らしい教えを、一人でも多くの方に伝えたいという気持ちです。
→プロフィール
受講者さまの声
「自己変容」が起こっています!
・体系的かつ集中的に学べたことで、知識が自分の中に深く入って来ました。
・まさに求めていた答えが軽快にどんどんともたらされることに、「目からウロコ」の瞬間の連続でした!
・「人生」とは何たるか、人はどんな順番で、何をやっていくべき生命体なのかが、明確かつ具体的に見えてくる実感がありました。
・Yukiさんのクラスは、Yukiさんの言葉で伝えてくれるのでとても聞きやすく、毎回面白さもあり、楽しく勉強させてもらっています。
・自分と向き合う、自分を振り返って見直すキッカケになっています。自分を客観的に見れて楽になれるというか・・・いつもクラスで聞いた内容に助けられています!
パラマールタナンダ・スワミジからのメッセージ
我々はこの伝統的な教えを信頼して、
身をゆだねなくてはならない。
そうするなら、
サムサーラは治療されるだろう。この伝統的な素晴らしい教えが、みなさんを祝福しますように。スワミ・パラマールタナンダ